Saturday, July 27, 2024

Burgmüller 25 Leighte Etüden Op. 100 ブルグミュラー 25の練習曲

1. La candeur 素直な心

2. Arabesque アラベスク

3. Pastrale 牧歌

4. Petite réunion 子どもの集会

5. Innocence 無邪気

6. Progrès 進歩



7. Courant limpide 清い流れ

8. La graciense 優美

9. La chasse 狩猟

10. Tendre fleur やさしい花

11. La bergeronnette せきれい




12. Adieu さようなら

13. Consolation なぐさめ

14. La styrienne スティリアの女

15. Ballade バラード



16. Douce plainte 小さな嘆き

17. Babillarde おしゃべり

18. Inquiétude 心配

19. Ave Maria アベマリア



20. Tarentelle タランテラ

21. Harmonie des anges 天使の声

22. Barcarolle 舟歌



23. Retour 帰途

24. L'hirondelle つばめ

25. La chevaleresque 貴婦人の乗馬



 I remembered my piano teacher in my childhood.  She wore colorful clothes and had two electones and a upright piano.  She played an electone lively in a class recital. 

I played "Ballade" in a class recital.  I practiced left hand parts, do si do so ra si, for more than several months.  It was tough for a child.  So I remembered.

Recently I opened the music book, and played them again.  My hands are bigger, my fingers are longer than my childhood.  Also I can understand meanings of each titles.  I could not read Kanji and understand meaning of some titles in my childhood.  Now I found many elements of music/piano techniques in the book.  I could not understand them since I barely played in my childhood.



子どもの頃、バイエルがやっと終わって、ブルグミュラーに入ったときは嬉しかった。だから、1曲目はけっこう好きです。

最近、思い出して、楽譜を開いていました。先生の赤鉛筆の書き込みや、何回かに分けて描かれた〇(「また来週」〇の一部、「また来週」〇の続き、「とりあえずいいでしょう」〇が完成)。

特に思い出すのは『バラード』です。発表会でブルグミュラーから選ぶことになって、『貴婦人の乗馬』がいいと思っていたけど、他の人が弾くからと、わたしは『バラード』と先生にいわれました。地味な曲で、難しい(子どもには弾き映えするような曲でもない)、外れ籤だと思いながら、数ヶ月(いや、発表会は二年に一回で準備期間が長かったので、半年か、一年近くか)この曲の左手の練習をしていました。ドシドソラシドシドソラシ~…。

発表会の日付が書いてあって、それによれば十歳の夏です。ただ、四年生の頃は、もうブルグミュラーを弾いていなかったはずで、発表会で他の生徒が『貴婦人の乗馬』を弾いても興味がもはや無かった気がします。だから、この曲だけ、特に左手だけ、長い間練習していたのだろうと思います。

大人になって思い返せば、「バラード」という単語・曲名は、その後、ショパンのバラードに出会ってしまったりするわけで、素敵な曲名のはずでした。

それに、左手が歌うような曲も出てくるし、その〇〇年後かには右手を怪我して左手のための素敵な曲を弾くこともありました。

あとは、就職して、ほんの一週間くらいで、パソコンで腱鞘炎になりそうになりました。右手ばかり使うからだと思い、右利きではあるものの左手を使うのが億劫ではなくなっていたので、マウスは左手で使うことにしました。すると、右手の負担が減った上、効率も良くなりました。その後、どの職場でも(マウスどこ? 何で左なの?)と聞かれることになりましたが。

ただ、その頃は、そんなことは知らないので。



このブルグミュラーの曲集は、良い思い出、子どもの頃のエレクトーン好きのおばあちゃんの先生との思い出は良いものだったようです。

だから、この曲集を開いてみようと思ったり、1番から順に弾いてみようと思ったのだと思います。

ただ、その後の、この曲集を弾いていた当時には全く知らなかった・出会ってなかったようなことを思い出すこともありました。

想起してしまうことがあると録音がストップしたり大幅にミスったりします。なので、そういうことは認識して手放すと、やっと最後まで辿り着いたりします。

それで、ここがイマイチだからと録り直して、すると、こっちがイマイチになって、何回か撮り直しているうちに、ただ走ってしまったり、ただ惰性になってしまったり。とりあえずこれでというのを選んでます。

何故こんなことをしているのかよくわからないけれども(ここ数年の自分の状況(2020年より前から半強制の略引籠り)で家の事の他は電子ピアノを弾くことは出来るので)、偶々思い付いてするようになって、おそらく、良かったことは、YouTubeを作っている方達の苦労が少しはわかるようになったかもしれない。

ピアノの動画は略見ません。- 色々考えてしまったり余計なことを感じたりするし。無自覚で弾き真似してしまうようなので。 - 著名ピアニストのレッスン動画は、見て良かったなと思ったかも。

例えば、旅行の動画が好きですが、あそこも録っておけばよかったなとか、ここはもうちょっとこんな感じに録ってあればよかったなとか、これはいいのが録れたとか、色々あるのではないかなと考えたりします。



さて、今回、一曲ずつ録音していって、気付いたことがあります。

題名が、始めの方は子供向けの曲集のようです。それでも、子どもの頃は未だ意味が謎の言葉もありました。それほど漢字が読めるわけでもなかったし。例えば、『無邪気』とか。これは大人が子どもを見て思うのであって、子ども自身は何も思ってない。他にも色々。

今回思ったのは、途中から(あれ??)という感じになっているような気がしてきました。さよならして、嘆いて、なぐさめられて、新しいひとをみつけて、でも嘆くことになって、いやされて、旅に出て、帰って、また新しいひと、みたいな。さよならの前に、優美や狩りもあったな。あれこれ考えてしまった……。

そんなことを考えてしまったけれども、『素直な心』で弾いていきたいと思い直しました。

また、イマイチ理解できない曲は、漢字の題名でなくて、アルファベットの題名を読んでみて、その後坎で理解してみた曲もあります。



あとは、当然その当時はわからないことで、その後で色々な曲を弾いたり聴いたりしたからわかったことですが、色々な曲の要素が音数が少ない中でちゃんと入っている。

例えば、(わたしはしないのですが)ゲームの音楽が。今はかなりの豪華さですが、昔々は同時に単音?二三音?くらいしか鳴らず、それでもどんな音楽でどんな雰囲気かがわかる。そのような感じがしました。

子どもの時はわからなかったです。なにしろ、この曲の音数でさえも難しい(だから練習して、次の曲集に進んでいく)ものだったから。

何事も、似たようなことはあって、小学生や中学生のときに教わることが、習い始めに教わったことが、仕事を始めた頃に教わったことが、ちゃんと出来ていれば……、みたいなことがあったりします。



しばらくぶりに弾いてみると、指の長さが余って弾きにくいので、指使いを変えたところもありました。子どもの頃は丁度良い音域・音幅だったかもしれませんが、大人になるとちょっと狭い。小学校の椅子が小さいようなものです。

自分の先生(子どもの自分からすると手も指も長かった)はどうしていただろうか?と思いました。背が高かったので、実際に手が大きかったはず。

エレクトーンが2台あって、ピアノが1台。グランドでなくてアップライト。左に先生が座って。

普通の先生はメトロノームを使うでしょうが、「この曲は、こんな感じかしらね~」とエレクトーンのリズムパターンをかけて弾いたりしました。

ピアノで先生と連弾をしたこともありますが、エレクトーンを先生が弾いて、あるいは生徒が弾いてあわせたりもしました。

発表会の講師演奏は、ノリノリのエレクトーン演奏でした。

ただ、先生はもともとはピアノを弾いていたので、高校くらいになると「わたしがあなたくらいの時にはこのくらい弾きましたよ」とガツガツガンガンした曲をくださいました。いささか大変でした。その頃の曲は、弾こうとしても、最後まで辿り着かない。

ツェルニーやバッハも1番から飛ばさずにやりました。ただ、平均律くらいになると、とりあえず最後まで辿り着けばいいということにはなりましたが。

子どもの頃は、発刊から数年だった、バーナムもやりました。

「次は、この曲をやりましょう」と言っていたけれども、大学受験のため、ピアノのレッスンはやめました。その曲は、最初から最後までとりあえず弾いたことはあるものの、ちゃんと弾いたことはありません。

とりあえず受かって、大学に入ってみたら、男性はおじさんのようだし、女性は可愛かったりきれいだったり、わんさかわんさか人がいてわっさわさした所でどうにか過ごしていかなければ……と思って、居場所になりそうな所を探しました。

それからは、色々な人の演奏を聴いたり話をしながら、自分が気に入った曲を勝手に弾くことにしました。

(学部の勉強は熱心になれませんでしたが、一応学部と関係のある就職をして転職して、その後、学部と一応関係ある資格で仕事しました。一応。)

高3でやめてからは先生の所にレッスンにはいかなかったものの、お茶に伺ったりしました。



今回は、偶々(機械的なお薦めで流れてきたから)再生していた人が何となくわかって(わからなくても)何となく聞けるようにと考えながら、また、ブルグミュラーさんが(本当は何を考えていたかはさておき)目の前にいて聞いているようなと考えながら、弾いていきました。

練習のときは、和音をばらしながらとか、一音ずつ切ってみたり、ハモリを確認してみたり、しなかった曲もありますが。

子どもの時、左手だけ練習というのは、片手ずつの方が簡単だろうという理由くらいしかわかりませんでした。今回、改めて弾いてみて、バスとリズムを把握できるからかと思いました。

いわゆるピアノの先生は顔をしかめたり叫び出したり怒り出しそうな弾き方をしていたりもするだろうなと思います。

大人になってから習いに行ってすぐにやめた先生が何人かいます。仕方なくもあります、子どもの頃は上に書いたような感じで、その後は自分で勝手に弾いて、就職してからはポピュラー・ジャズの先生に習っていたり、小さなバンドに入っていたり、クラシックっぽくないし。音を外したり。鍵盤の押さえ方は、子どものようにガツガツするのがいやで、色々勝手に変えていたり。

わたしが長年習うことが出来たピアノの先生は、子どもの頃の先生も、大人になってからの先生も、寛容でした。そして、言葉や手を尽くして伝えようとしてくださいました。



いずれにしても、時間と、労力と、思い出と、それらは自分のものになるでしょう。